宇部護国神社(旧称:維新招魂社)は、幕末、元宇部領主第二十四代福原家当主福原越後元僴公が幕府との戦い「禁門の変」の敗退により、幕府より第一次長州征伐(征討)が下命され、第一次長州征伐回避、藩存続のために責任を負わされ、元治元年十一月十二日岩国の龍護寺に於いて自刃された。翌年慶応元年五月十六日幕府との戦いに於いて犠牲となられた越後公の招魂祭を初めて藩の許可を得て琴崎神社で斎行し合祀されたのが創始であり、慶応二年(1866年)11月19日に崩し山、現在の維新山に社殿を建立落成し、翌慶応三年(1867年)12月5日琴崎神社より越後公の霊魂をご遷座し現在に至ります。藩の許可を得て招魂祭を斎行した歴史の延長線上に東京招魂社(現、靖国神社)が建立されたことから、維新招魂社、現在の宇部護国神社が靖国神社の源流と言われる所以である。(「靖国の源流」、堀雅昭著より)